ラジオ ああ、我が良き友よ・・・

生活の伴侶となっている、ラジオ日記です。

学生寮篇 その九 『あの娘に』

 

朝7時。

 

 

学生寮に、起床目覚ましミュ-ジックがやかましい音量で流れていたっけ。


曲は、『17才』。南沙織の大ヒット・新人賞受賞曲です。

 

 

 


沙織ちゃんによく似たその娘は、ふたり連れで「網走刑務所」の前に佇んでいました。

あれほど可愛い娘なのに、回りにいる男たちは誰も声をかけない。

ナンパするために網走刑務所まで来たんじゃないんだ。

そんな、気取った構えた雰囲気を覚えました。


それなら。


早い者勝ち。旅の恥は掻き捨て。

 

 

思っている間に、すたすた奥田が行ってしまった。

 

 


臆せず落ち着いて、普段はみせたことのない笑顔で話しかけている。

沙織ちゃん似のあの娘と、もうひとりの娘に分け隔てなく。


「ばってん。おいも、九州ばい!」


あの娘も九州の人らしい。安心したように微笑んでいた。

奥田は、握手まで交わした。

 

 

 

 

喫茶店に四人。

話が弾んでいるのは、あの娘と奥田のふたりだけ。

私は、連れの娘とぎこちない会話をいやいや。

それでも、収穫はあったんです。今夜の宿泊先が同じって。

 

 

 

 

 

ユ-スホステルの二段ベットの中で、ひとり。

ウヰスキーでもあおりたい気分でした。

なんで奥田が。なんであの娘が。

機先を制した奥田という男がわからなくなった。

 


去年の秋の「寮祭」では、演劇部門の主演賞を獲得した奥田である。

役者の素質はあるとはいえ、所詮作り話の世界。現実はちがう。

酒を酌み交わせば、少年の頃の思い出と空理空論のロマンスばかり。

私と同じように生の女など知るわけがない。

 

 

自分勝手な私の、そうであって欲しいと願う女々しい男の遠吠えなのか・・・

 

 

 


大学受験にすべて失敗した期待の息子にではなく、

女房のおふくろに吐き出していた親父の酒の入った「恨み節」。

補欠入学の朗報に、親父と一緒に行った東京までの父と子の壮行夜行列車。

ラジオから流れていた「高校三年生」を聴いていたのかそうでなかったのか、


親父は、流れる窓外模様を目を細くして眺めていた。

 

 

 

 

蛙の子は蛙。

 

 

 

 

 


そっと、相部屋の戸が開く音。

入って来たのは奥田だった。

「起きているんだろ?」


返事はせず、目を瞑った。

 

 

 

 

 

朝。

 


歯を磨いていると、奥田が来て言った。

「富士山へ登ろう」

「なんで」

利尻富士だよ」

 

 

ヒビの入った鏡に映った奥田は、片方の目の辺りを腫らしていた。

 

 


「お前」

「やかましか」

 

 

 

 

 

学生寮篇 その八 『北海道』

 

♪はるばるきたぜ函館へ さかまく波をのりこえて・・・♪

 

 

青函連絡船は、白いしぶきを颯爽とあげながら進み


カモメたちがあちこち空を舞う。

 


船上から見晴らす光景に

なにも言わず

奥田と私は惚れ惚れ、ただ、眺めているだけでした。

 

 


長崎・軍艦島を訪れてからはや、一年。


くされ縁の絆は

何とも言えないくらい深まっていました。

 

 

 


リュックサックを背負って横歩き。

まっすぐ行くのがもったいない。

あっちこっち何でもみてやろう。

カニ族と呼ばれた、旅のスタイルが懐かしい。

 


学生寮の先輩、同輩に北海道出身者は数多くいました。

そのメリットを見逃す手はない。

図々しく、ご厄介をおかけいたしました。


少しでもケチって、あわよくばのチャンスをモノにする。。

 

 

函館から札幌、札幌から旭川。

旭川から滝川。滝川から・・・

 

 

 

寮生コネクションばかりでは芸がありません。

たまには、ゆっくりと温泉にでも浸かりたい。

さっそくレンタカーを手配して、層雲峡へと足を伸ばします。

北海道の道は野生的で、果てしなく続く・・・

 

 

 

霧の中、突然に悠然としたその姿を現した層雲峡には圧倒されました。

黒く、ものすごくでっかい大岩のお化け。キングコングの逆襲!?

キングコングの岩の掌の露天風呂の、とろけるような抱擁に昇天させられた。

安宿での料理にお酒だったけれど、我ら青二才には、まさに天国でした。

 

 


カニ族もいいが、やはり車のほうがいい。好きな所へいける。

白樺並木をのんびりと走っていると、牛の鳴き声がする。

その声の方へ道を逸れ、すこし行くと広大な牧場だ。

放牧された牛たちが、歌っている。メルヘンの世界。

 


中学生のころの教科書にあったかなぁ

 

 

 


カ-ラジオから流れる「知床旅情」。


目の前の雲海に静かに眠る「摩周湖」。

 

 

 

 

 

レンタカーを返して、向かった先は『網走』です。

 


云わずと知れた、我らがヒ-ロ-『高倉健』。

映画『網走番外地』『昭和残侠伝』らを、

観終えた客に漂う、あの夢うつつな侠気。

”健さ~ん”

 


しかし、網走刑務所は網走刑務所でしかなかった。

 

 

 

 

 

ひと目でカニ族とわかる連中の中に、その娘(こ)はいました。

 

 

 

 

 

 

学生寮篇 その七 『南へ北へ』

 

 『旅の宿』

 

♪浴衣のきみは尾花(すすき)の簪(かんざし)♪


岡本おさみ作詞 吉田拓郎作曲・歌

 


旅愁を誘う風呂上り、その遅れ毛に汗ひとしずく

私なりの、『旅の宿』のイメ-ジです。

 

 

 


「結婚しようよ」を、毎晩のように歌っていたあのころ。

 

良きにつけ悪しきにつけ、世の中は『沖縄返還』に湧き、

パスポ-ト不要でいける沖縄は、ますます人気となります。

 


梶と仲間たちは、その波に乗りました。

旅の恥は掻き捨てのもうひとつの意味もふくめ。

 

それは、梶と私との賭け。

どちらが早く「男」になるか。

つまらない見栄の意地の張り合い。


受けて立つ気はさらさらありませんでしたが、

あわよくば、、、。色気が無いといったら嘘になる。

奥田との北海道旅行に、一縷の望みを。。

 

 

7月1日に『旅の宿』がリリ-スされ、旅ム-ドに拍車がかかります。

 

 

ラジオからテ-プレコ-ダ-に録音して、

音楽雑誌に掲載された『旅の宿』の楽譜とにらめっこ。

 

拓郎が弾く変則アルペジオをコピ-して、私もよく弾いていました。

 

 

梶はつくづくと、

”上手くなったなぁ、感心するぜ”


言ってくれる。


”北海道はいいだろうな。旅の宿は北海道のものさ”

 

”沖縄の旅の宿もいいんじゃない?”


私は、思わせぶりに返す。

 

”おたがいがんばろうぜ!!”

開けっぴろげに大声で笑って、梶先生は出ていった。

 

 

 

夢と希望と好奇心と時間。

そして、お金。

 

今回の旅の宿のために、一生懸命アルバイトに励みました。

お中元シ-ズンに欠かせない、軽自動車での宅配サ-ビスです。

ノルマはありませんでしたが、やればやるだけお金になる。

知らない土地なので、地図を片手に一軒一軒探しながらの配達はきつかった。

 

しかし、仲間がいた。


梶も奥田も私も寮生仲間たちも、夜遅くまで、ドロドロになりながら働いた。

 

 


一日の仕事がやっと終わったあとのビ-ルは、本当にうまかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生寮篇 その六 『ラブソング』

 

深夜ラジオをたれ流しにしながら、麻雀を囲んでいました。

一局すんで、牌をジャラジャラかき混ぜ回していると、

 


♪♪

ギタ-、バンジョ-、ハ-モニカたちの軽快なお祭り騒ぎ♪♪


つづいて


♪ぼくの髪が肩まで伸びて・・・♪

 

私は、手を止めラジオのほうに向き直りました。


”拓郎かい?”

対面(といめん)の梶が言う。


私は、ポカンとラジオを聴き続けていました。

 

♪・・・町の教会で結婚しようよフフンフン♪

 


春春。笑笑。

ハッピーハッピー。

満開の桜の下で、若者たちがどんちゃん騒ぎしているような。

 

拓郎のイメ-ジが一変した。

今までの


『人間なんて』

『マ-クⅡ』

『今日までそして明日から』


などの、暗い曲から180°転換した。

悩み歌からラブソングに。

 


『結婚しようよ』の大ヒットに乗って、

富士フイルムのCMソング『Have A Nice Day』も人気になりました。

私も、このCMソングが好きで仲間たちと一緒によく歌ったりしたものです。

 

 

このころからです。

梶とギタ-を一緒に弾きながら歌い始めたのは。

ピッキングアルペジオ、スリ-フィンガ-。

曲に合わせて、おたがいの持ち味を出し合った。


ピッキングは、たいてい梶が担当し、フィンガーテクは私。

ガットギタ-ばかりでは、もひとつ盛り上がりに欠けるとうそぶいては

フォ-クギタ-をどこからか調達してきたりして。


連日連夜、ノンポリ寮生たちのミニコンサ-トは行われていました。

 

 


1972年(昭和47年)4月、寮生仲間たちほぼ全員が2回生に進級。

梶も私も、そして奥田も2回生に無事進めることとなりました。

 

同年、5月。

沖縄返還

 

梶は、夏休みに仲間たちと沖縄旅行を計画していました。

いっぽう、奥田と私は北海道旅行を楽しみに。

 

 

 

同年、7月。

吉田拓郎「旅の宿」発売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生寮篇 その五 『レッスン』

 

梶、お好みの曲。ほんの一例です。

 


加山雄三「君といつまでも」「旅人よ」

北山修加藤和彦あの素晴らしい愛をもう一度

ジロ-ズ「戦争を知らない子供たち

五つの赤い風船「遠い世界に」

サイモン&ガ-ファンクル「サウンド オブ サイレンス」「ミセスロビンソン」「ボクサー」

ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁

はしだのりひことシューベルツ「風」「花嫁」

吉田拓郎「今日までそして明日から」

ビ-トルズ「イエスタデイ」

モンキーズ「デイドリ-ムビリ-バ-」etc.

 

 


いつものように

仲間から借りてきたガットギタ-で、梶が歌い弾いた。

 


小気味よいピッキングは指(爪)先を絃に直にあてる。

上から下、下から上。こすり、たたき、きざむ。

手首を上下に利かせ、ときに円を描く。

気ままな動き。感性の響き。


つぶれた感のハスキーボイスは、自在に

大きく、小さく。

強く、弱く、優しく、激しく。

感情をこめ、また、突き放す。

 


ギタ-が鳴いている。

躰ぜんたいで歌い踊っている。

 


私も、自分のギタ-を抱えながら歌っていた。

眼は、梶の両手にすべて注がれていた。

 

 

 

千葉県は東部にある、九十九里浜近郊の漁師町。

梶は、そこで生まれ育った。

気は優しくて力持ち。


私も、二三度遊びに行ったことがありますが、

梶という男の、根っこを見た気がします。

 

 

 


1971年(昭和46年)の秋頃から始まったギタ-レッスン。

コ-ドを押さえるコツや、ピッキング奏法のテクなど、毎日のように教えてくれた。

アルペジオとスリ-フィンガ-は難しかったなあ。

下手くそな私を少しもけなさず、褒めに褒め、褒めたおしてくれた。

 

クラシックの『禁じられた遊び』の方は

楽譜を買って、自分なりに少しずつ弾けるようになりました。

もちろん、梶のアドバイス付きですが。

 

面倒見のいい気のいい奴なんですよ。^^

 

 

 

1972年(昭和47年)1月。

その曲は、ラジオから飛び込んできました。

 


吉田拓郎「結婚しようよ」

 

 

学生寮篇 その四 『ギタ-』

 

吉田拓郎井上陽水かぐや姫泉谷しげる・・・

あの当時、フォ-クソングは大変なブ-ムでした。

 


同学年、同学部、同学科、同寮生の奥田とは腐れ縁みたいなもの。

お互いの恥部を弱さをさらけ出し、酒も浴びるほど飲んだ我が良き友の一人です。

 

 

同学年、異学部、異学科、そして同寮生。

私のギタ-先生とも呼べる我が良き友に、梶がいます。

 

バイト先の「平塚競輪場」で、警備員同士。

軽く敬礼を交わして右と左。ひと呼吸あって、


”よおっ”

”おおっ”


どこかで見かけたやつ。やはり。寮生だった。

 


巨人の星、「長嶋茂雄」を面長にしたさわやかスポ-ツマン。


そんな梶は、高校時代は柔道をやっていたそうな。

相撲を取った時、締まった体の筋肉ははち切れそうに弾んでいて、

あっという間に投げ飛ばされると直感した。

が、引き分けた。


やさしいな、こいつ・・・

 


寮室二人部屋に居た私のところへ、例の平塚競輪場以来よくやってきたよな。


同部屋の先輩が外泊する時は、

城達也ジェットストリーム」をBGMに、ひそひそ、青い春の話に花が咲いた。笑った。

どちらが早く卒業する。賭けをする。二万でどうだ。相場かな。

お互い、童貞であった。

 

 

ふしくれだった指先が、かろやかに踊る。

優しく烈しく、女(ひと)を愛する。

スペインの情熱。

禁じられた遊び』を目の前で弾いてくれた。

 

「クラシックはこれしか弾けねんだ。楽譜、見てよお。苦労したぜ」

健康そうな白い歯を見せて照れくさく、梶は笑った。

 


それから、

私はギタ-の虜に。

 

 

年の暮れ、アルバイトをして憧れのギタ-を手に入れた。

 

 

学生寮篇 その三 『軍艦島』

 

あれほど気持ちがいい潮風はいつの間にか止んで、夕凪の頃、軍艦島に着船。

 


”お帰りんしゃい”


出迎えに来られていた、奥田のおふくろさんとお姉さんが破顔しておられた。

私もつられて、笑いながら挨拶を交わしました。

奥田のやつひとり、どんどん歩いていく。

親子の久しぶりの対面とはこんなもの。照れくさいものです。

 

 

煙草一本吸う間に、島一周。

 

そんな話を聞いていた私も、そのちっぽけさに少々驚きました。

以前、世界一の人口密度で知られたこの高層アパ-ト群の島は、

確かに狭っ苦しくても猫たちには天国だろう。

が、どっこい、人も「住めば都」。

 


ゆったり、あくせく、力強く生活していた。

 


日に焼けた子供たちの笑顔に映える真っ白い歯。


猫が魚をくわえながらひょんひょん走る。

その猫をひしゃくを振り上げ叫びながら追っかけ回すおっかさん。

その光景を可笑しそうに、バタバタうちわを扇ぎながら楽しむおばあちゃん。

 

どこの家庭も窓を開け放し、窓から焼き魚の白い煙が流れて


野球中継の騒音やら、高笑いやら、赤ん坊の泣き声やら

酔いにまかせた男の怒鳴り声やら、茶わんの割れる音やら

一家団欒やら、独りぼっちやら・・・

 

清も濁もごちゃ混ぜの、海底炭鉱高層アパ-ト群の島は生きていた。

 

 


そんな環境の中で、奥田一家は生活してきたのだ。

 

滅多に訪れることのない、この島以外のよそ者だけど

息子の学友として、私は文句なしに歓待されたのです。

 


”ま、一杯”


親父さんからお猪口に注がれる酒越しに見えた、太い腕。


”頂戴します”


ひと息に盃を干した私は、返盃する。

大きな目に、笑みを湛えて親父さんは、


”よかよか。男ンくさ、かけつけ三杯”

 

奥田はおふくろさん似。

ひょんな時に気がついた。

 


近海モノの魚介類の美味いことといったら!

ワサビがきいた刺し身はまた絶品で、

肉料理に野菜サラダ、そして、〆は何といっても『長崎チャンポン麺』。

心に沁みる、一家オリジナルおもてなし料理の数々でした。。。

 

しかしながら、

記憶の断片に途切れ途切れのシ-ンが重なって、

食べているのか飲んでいるのか、かなり酔っていた私には判然としない。

おおいに飲んだ、飲まされたことだけは確かです。


証拠に、起床すると下半身が生温かく、うそ寒い惨めな思いをしてしまったから。

 

 

 

笑いを噛み殺しながら手を振る奥田と、おふくろさん。そして、お姉さん。

 


私は船上から、

 ”ありがとうございました”

 と、意地でも元気よく声を出して手を振り続けていました。

 

 

 

 

 

帰りの列車の中でラジオから流れていた曲は、

出来すぎでしょうが

 

内山田洋とク-ルファイブ「長崎は今日も雨だった」♪