ラジオ ああ、我が良き友よ・・・

生活の伴侶となっている、ラジオ日記です。

学生寮篇 その二 『帰省』

 

フ-テンの寅さん風な、田舎っぺ大将。

 

奥田の印象は、私にすればそんなようなところでした。

傍からみると、少々とっつきにくいム-ドを漂わせてはいるが

つき合っていくうちに、だんだん、ひょうきんな表情を味を見せてくれる。

一度、胸襟を開けば、生温ったかい笑顔が人懐こくて忘れられない。

 

 

入学、いや入寮したと言ったほうが正解でしょうか。

 

学生寮は、キャンパスのド真ん中にありました。

寮の門を出ると、そこはキャンパスです。

講義は、日に1~2回。多くて3回程度ですが、寮生活は、青春そのもの。

勉強より青春が好いに決まってる。


入寮したその夏休みに、アルバイトを奥田といっしょにやりました。

帰省・上京の切符代と、遊び銭稼ぎですね。

長崎は軍艦島の奥田。私は岡山の倉敷。うまい具合な帰省・上京、観光ツア-!

まずは、奥田のところでお世話になり、上京はついでに私のとこでお世話、する。。

 


東京から長崎。急行列車で、乗り継ぎもふくめて20時間くらいかかったかなあ。

長旅でしたが、そこは青春。車中泊(寝台でなく座席シ-ト)もまた楽し、です。

どんな話をしたか覚えていませんが、ラジオの存在感っていうものに似た空気があった。


声、笑い、臭い、煙草の煙、酒、するめ、駅弁、便所、灯り、闇、月、流行歌、夜明け、・・・

 

 

長崎駅に到着したのは、お昼を過ぎた頃でした。

どこか異国めいた、情緒感に包まれた安堵を覚えたのは

長旅の疲れが、駅構内を行き来する人々の意思溢れる明るさに、つい同調したのでしょう。

8月の初めは、長崎も暑かった。

 

 


心地よい潮風に吹かれて、

夕日に浮かぶ軍艦島は、むっつりとした表情で我々を迎えてくれた。

 

 

 

 

 

学生寮篇 その一 『学ランのあいつ』


補欠合格のおかげで、とりあえず大学一回生となった私の住みかは『学生寮』でした。

 

 

新宿から小田急線・急行で約30分。向ヶ丘遊園駅下車、徒歩約20分の山頂にあります。

『コ』の字型につながった、4階建・鉄筋コンクリートの古びた学生寮に約250名の寮生。


一回生が半数を占め、上級生になるほど人数は減っていきますが、上下関係は厳しかった。

三食昼寝つき。と、までは参りませんが、食事の心配はありませんし、何より寮費が安い。

 


そして一番気に入ったところは、仲間たちとの出会いです。


北は北海道から南は九州まで、全国から集った十人十色の男たちがいた。

 

 

 


寮生に女子は居ないんです。

いるのは、すきっ腹を満たしてくださる食堂のおばさまのみなさんと、

寮生のマドンナ「栄養士さん」。彼女については、これ以上はノ-コメントに、しよっかな。。。

 

 

 

 


親父から買ってもらったトランジスタラジオから、『FEN』がはっきりと聴けました。

故郷(くに)で聴いていた♪Far East Network♪の何倍もの迫力で。

英語の勉強は教科書に辞書ではなく、ラジオから!!(笑)


イカす音楽に生の英会話。これはもう最高です。

ちなみに、現在は『AFN( American Forces Network)』に変わっていますね。

 

 

 

 

 

硬式野球、ゴルフ、アイススケ-ト、剣道などの体育会系の強い大学ということもあり、

寮生の中にも噂のやつらが、ちらほらいました。

学ラン(詰襟学生服)が普段着だからすぐわかる。

 

 

同学年、同学部、同学科。そして、同寮生。

いつも学ラン姿の「あいつ」も、体育会のやつだと思っていたけど違った。


”大学生は学生、学生は学ラン。社会人はサラリ-マン、サラリ-マンは背広”

サラッと言ってのける。

”九州男子は男やもん。理屈じゃなか”

 

多少の抵抗はあったものの、田舎っぺ大将の「そいつ」が憎めない。

四角い顔に細い目をした『フ-テンの寅さん』そっくりな「そいつ」が。

 

 

 

九州は長崎、軍艦島端島)出身のそいつは「奥田」といった。

 

 

大学受験の頃からのラジオ遍歴 ・高校篇


受験勉強の心強い味方となってくれていたものは、ラジオでした。

 

成績もビリから数えて片手で間に合う私にとって、本当に情けなくつらい夜。

英語辞典の単語は宙に踊っているし、数学のサインコサインタンジェントなぞ、くそっくらえ!!

 


そんな時、

 

高石ともやの「受験生ブル-ス」は、スカッとさわやかコカコーラ♪

ともやさんのだみ声に、ニタって顔して”明日には明日の風が吹く”。

結局、夜明け前までラジオを聴き、授業中は高いびき。。

 

 

私の受験勉強を信じて、腫れ物にさわるように気を遣ってくれていた両親が、あの頃は鬱陶しかった。

生まれ育ったこの地から出たい。都会に行って、知らない空気を吸ってみたい。

何をする目的もなく、就職するまでの夢のような学生時代を送れればいい。


私の「受験生ブル-ス」は、他愛ない”理由なき反抗”とも呼べない戯れ歌だった。

 

 

関西、関東の大学。あわせて数校を受験するも、すべて”桜 散る”。

親父の酒の入った「恨み節」は、哀れな遠吠えでしかなかったけれど、

母の「まあええが、来年があらア」と、けろっとしたもの。

どうやら、私の性格は母ゆずり、かな。

 


それでも「補欠合格」通知に、夫婦喧嘩はおさまった。

よかった。東京へ行ける。この地から出られるのだ。

 

 


親父が車窓にトランジスタラジオを乗せ、流れる窓外模様を目を細くして眺めていた。

東京まで片道12時間の父と子の壮行夜行列車。

 


時々、雑音に邪魔されながら

大学入学祝いに買ってくれたトランジスタラジオから

舟木一夫の「高校三年生」が流れていた。